1月17日の渋柿

なんとひとつだけ取らないで、木につけておいた渋柿である。


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シブはどうなるかを調べるため、そのままにして、カラスにも食べられないように見守っていたのだ。 1月に入り、結構気温は下がり氷点下の日が続いた、それでも柿の実はカチンと硬く凍らずに柔らかい。糖分が凍結しないようにしているようだ。 今日17日、もぎ取って 糖度を調べてみた。

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なんと20度あるではないか。スプーンで中身をすくい取って、食べてみたら渋みはほとんどなく、確かに甘味は結構なものであったが、20度とはびっくりした。ちなみに、ピオーネという甘いブドウで18度だそうだ。それていて、わが家の1月17日にもぎ取ったゼリー状の渋柿が20度もあったということは、測定した糖度計がおかしかったのか?よくわからない。

     ただ、この柿を試しに一口食べてみたが、腹をこわしたり下痢はしなかった。甘かったが、20度までは、いかないのでは、??と思っている。


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    ここから参考資料です。

「 干 し 柿 の 原 料 に 「 渋 柿 」 。
    実 は 甘 柿 よ り 糖 度 が 高 い 柿 が 出 回 る 季 節 に な り ま し た 。 な か で も 干 し 柿 は ど ん な 果 物 より 甘 く 、 糖 度 は 5 0 度 前 後 に な る と い わ れ ま す 。 こ の 干 し 柿 は 渋 柿 か ら つ く ら れ る と 聞 く
と 驚 き ま す が 、 な ぜ 干 し 柿 の 原 料 は 渋 柿 な の で し ょ う か 。
     渋 柿 は も と も と 糖 度 が 高 い。「 干 し 柿 に す る 前 の 生 柿 を か じ っ た こ と が あ り ま す が 、 渋 く て 吐 き 出 し た こ と が あ り ます 。 市 田 柿 の 原 料 は 間 違 い な く 渋 柿 で す 」 と い う の は 、 ブ ラ ン ド 干 し 柿 の ひ と つ 「 市 田 柿 」を 生 産 す る 市 田 柿 工 房 ( 長 野 県 高 森 町 ) の 広 報 担 当 者 で す 。 渋 柿 を 干 す と 、 な ぜ 甘 く な る ので し ょ う か 。「 渋 柿 に は 渋 み の 元 の タ ン ニ ン が 含 ま れ て い る の で 、 そ の ま ま で は 渋 く て 食べ ら れ ま せ ん 。 し か し 乾 燥 さ せ る と タ ン ニ ン が 不 溶 性 、 つ ま り 水 に 溶 け な く な り ま す 。 これ を 渋 抜 き と 呼 び 、 渋 抜 き す る こ と で 、 も と も と 高 い 糖 度 を も つ 渋 柿 の 甘 さ だ け を 感 じ られ る よ う に な る の で す 」  渋 柿 は 渋 み に 隠 れ て い ま す が 、 甘 み は 強 い の で す 。 甘 柿 ( 渋柿 で は な い 柿 ) の 糖 度 は 1 6 度 前 後 で す が 、 渋 柿 は 2 0 度 前 後 あ り ま す 。 こ の 渋 柿 を 干 す と 渋み と 水 分 が 抜 け て 、 糖 度 が 5 0 度 に も な る の で す 。
ち な み に 、 干 し 柿 の 表 面 に 付 着 し て い る 白 い 粉 は 、 柿 の 身 の 糖 分 が 結 晶 化 し た も の で 、ブ ド ウ 糖 や 果 糖 な ど で す 。 渋 み も 水 分 も 抜 い た 干 し 柿 の 糖 度 は 、 甘 柿 の 3 ~ 4 倍 、 砂 糖 の 1 .5 倍 に も な る と い い ま す 。
糖 度 が 高 い 渋 柿 の 渋 を 抜 い た 生 柿 も甘 柿 も 干 せ ば 干 し 柿 に な り ま す が 、 渋 柿 ほ ど 糖 度 が 上 が ら な い の で 、 商 品 価 値 は 低 いそ う で す 。 干 し 柿 の 原 料 が 渋 柿 な の は 、 糖 度 が 高 い か ら な の で す 。 と こ ろ で 、 渋 柿 の 渋 を抜 く に は 、 干 す ほ か に も 方 法 が あ り ま す 。 焼 酎 な ど の ア ル コ ー ル を ヘ タ の 部 分 に つ け て ビニ ー ル 袋 で 密 封 し て 3 、 4 日 す る と タ ン ニ ン が 不 溶 性 に 変 わ り 渋 が 抜 け ま す 。 た だ し 、 温度 が 低 す ぎ る と 渋 が 抜 け に く い の で 常 温 で 放 置 し ま す 。 約 4 0 ℃ の 湯 の 中 に 一 晩 漬 け て おい て も 渋 が 抜 け ま す 


参 考 資 料 な ど 『 柿 づ く し : 渋 柿 、 干 し 柿 、 柿 酢 、 柿 ジ ャ ム 、 紅 葉 保 存 』 ( 濱 崎 貞 弘 ) 」
(( h t t p s : / / w e a t h e r n e w s . j p / s / t o p i c s / 2 0 1 9 1 0 / 1 7 0 1 2 5 / 参 照 2 0 2 2 年 1 月 2 0 日 ))

青春の思出(登山道作り)

U岳への登山道作りの思い出

 

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平成3年から続いた登山道づくりの一こまを紹介する。  真夜中、午後9時50分、山に向かう。荷重やく7㎏、草刈り機械の燃料ペットポトル2本が含まれている。ヘッドライトの灯りをたよりに、高度、やく1000m、距離5㎞の白水岳の下の鞍部に張られたツェルトのところまで歩くことになる。今日も、単独山行である。  闇夜の静寂の中に、ヒー、ヒーとか細く哀れを誘うようにトラツグミの鳴き声だけが、かすかに聞こえる。ブナの樹間をくぐり、いつもの滝の急勾配を登り、幽霊みたいに立ちはだかるダケカンバの樹影を過ぎ、淡々と進む。職場のことを頭に浮かべたり、愚痴を言いたくなったり、そんな時はすぐに「こんなことでは、人間まだまだだめだなあ。」と自戒したりして、雑念を振り祓いながら登る。疲れはあるものの、体がほどよくほてり休む気はない。ただ歩き、ただ登り続けるだけである。  0時ごろ、稜線に近い通称、”心臓破りの坂”にきた。両側にびっしり生い茂ったネマガリダケの間に刈分け道が北側に見える1043ピークに向けて真っ直ぐに続いている。  登山道は、ふつう登りやすいようにジグザグに曲げられて造られるものであるが、全く真っ直ぐに延びているだけである。その距離300mはあるだろうか。この地点は、前の年に同行の仲間と刈り進んだとき、その日のうちに稜線のピークに辿り着きたくて、私が全精力を出しきって、熊のように真っ直ぐに刈り進んだものである。直登コースの多いこの地の多くの登山道はきつすぎてたまげられている。この地の山はもともと急峻なのである。


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”心臓破りの坂”を登りつめる。稜線の上の闇空に私を導いてくれるかのように北斗七星のししゃくが輝めいている。気温・5℃、無風、冷えきって静まり返った夜の 帳の深奥に瞬く七つ星。なんと幻想的なことか。この真夜中をたった一人で、なんと劇的なことか。感動がこみあげ、涙がにじみ出る。ありがとう。ありがとう。神様、ありがとう。私にこんな楽しみを許してくれることに感謝せずにはいられない。そして、心の中では心配しながらも、玉子焼きを作ってくれるわが妻にも頭が下がる。  人はそれぞれ趣味を持ち、自分の好きなことをしているときに、一番充実している。私は今、充実している。そして、山に登る人は   たくさんいるが、山に道をつける人はあまりいないものである。私は、登山そのものにはあまり、興味がなくなってきている。道を切り開いて進むことが楽しい。汗をかいて、へとへとになるまで頑張り通す。飯がうまくなるし、頭のボーとしたモヤモヤが取れる。何よりも青春の情熱を燃やすと言うか、それを実感することが得難い喜びである。  午前1時、S岳の下に張られたツェルトに着いた。中から前から置かれていた刈払い機を出し、寝袋を広げる。なんと少しだが濡れているではないか。煙草をふかしながら、無事たどり着いたことを喜こんだ。まわりの生えたネマガリダケの中でタヌキだと思うが、ガサゴソやっている。身構える鉈も持っていない。そのうち、うつらうつら寝入ってしまった。朝、5時半、入り口を開けると、素晴らしい晴天であった。  やればできる。勿論、一人でもやる覚悟でいた。この試みを通して、私はたくさんの仲間もできたし、やる気のある生涯の友もできた。今、全長20㎞にも及ぶU岳への周回登山コースが完成したのである。    ここに平成5年の山行記録を整理したものがある。 o山行日数………32日(下調 べ、行事の登山を含めて)  ・夏休み期間 4日間   単独山行 15日  ・山中泊 5日 そのうち3日 単独  ・刈払機延べ運転時間  約90 時間  ・認めた野鳥             ジューイチ コノハズク トラツグミ ヨタカ  エゾライチョウ  クマゲラ シマエナガ  カラ類  コゲラ カケス イカル   アカゲラ

         (あとがき  この登山道は維持管理ができず、今は消滅している。 )  

初めの学校

  今、2022年、すでに53年ほど経っている。人生を全うして、悠々と生きているかな。!!
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 滝川から浜益にぬける道道縁にある小さな僻地4級の学校だった。それでも20人ぐらいの子供たちに教えていた。

 懐かしいなあ、みんな素朴で明るく元気いっぱいだった。いじめなんかなかった。全くなかった。

 近くに店が一軒もなく、(いや、マッチやせっけんや駄菓子は売っていた。)そこに4年間住んでいた。滝の沢というバス停があり、小さな沢に小さな滝があって、滝つぼにヤマベが住んでいた。(下の写真は偽物で、こんな感じということか。 )

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近くに黄金山という富士山に似たとんがった山があった。

 みんないい人ばかりだった。田植えと稲刈りは学校も休みになって、手伝いに出かけた。もちろん自炊で、買い出しでジンギスカン肉ばかりよく食べていた。

 そうそう、冬は雪が多く校舎の窓が雪で埋まってしまいます。屋根に上がって雪下ろしをしたら雪と一緒に滑り落ちて、やっとこ這い出したこともあったなあ。さくり板の中にスズメ蜂が巣を組んで、面白がって巣とりをしたら、スコ玉、刺されたっけなあ。  

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ニセアカシヤを切り倒す

この写真では、私の顔とスチールのチェンソーは合成したものです。

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    これは冬の写真だが、夏分には笹と雑木が生い茂った放任地であった。今は、ここに立派なアパートが立っている。私が食道癌の大手術を終えてまだ、体調がクラクラしていたころだ。倒した木が電線に引っかからないようにロープで引っ張っているのだ。直径15センチほどの細いものだが、高さは結構あった。

一番よく感心してくれたのは、Wさんだった。「この凄い薮原をよくきれいにしてくれたもんだ。!!」と。

f:id:gwakakun:20220115200106j:plain 伐木と笹刈りのあとは、薪割りである。毎日、少しずつ、マサカリをふるった。まだ、油圧の薪割り機は使っていない時だ。できた薪は全部、Wさんにくれてやった。Wさんからはお礼の品を頂いた。上に住んでいたTさんとも顔見知りになった。バイクを組み立てる特殊技能をもった優しい気持ちの良いおじさんだった。 

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 何本もの切り株が草刈りの邪魔になり、抜き取ることにした。この作業は結構大変であった。根株をチェンソーで切ると、どうしても土も切らさってしまい、刃が切れなくなってしまうのだ。到底全部はできなかった。

 懐かしい思い出である。!! 

「あの世のこと」を少し勉強してみた.

「あの世のこと」を少し勉強してみた.

 面白そうだし、少しは為になる?のではと、「あの世のこと」を発表することにした。  「あの世はあると思うか」と問うと何処にあるのかわからないし、まず、「無いと思う」と応える人も多いのではないか。また、「あの世があることを信じるか」と、問うと同じ人が仏様も祀っているし、墓参りもしているので、あると思うと応えるかもしれない。いずれにしてもはっきりと確信をもってそう思っているのではないように思う。  次の図式で言うと、「あの世はない」という人は、もし死んで実際にあの世があったらうまく適応できないだろう。無かった場合は、全く世界が一切無いのだから自分も存在しないわけで無意味であるわけだ。  
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また、「あの世がある」という人は、どんなあの世かはさておいて「あゝ、やっぱりあった。」ということでそれなりにスムーズに?適応できるのではないか。やっぱり無かった場合は、前と同じく無意味であるわけだ。  このようにみていくと、「肉体は死んでも何らかの形で(霊として?)生き続けていく」と考える方が都合がいいようにも思う。  さて、「統計数理研究所」で公表している「あの世を信じている人の割合」では、1958年は20%、その50年後の2008年は   38%で信じる人は約2倍に増えている。目に見えない不可解なことでも信じるようになってきたと言うことか。また、男女差で言うなら女が男より多く信じている。男は理屈っぽく、女は信じやすいと言うことだろうか。 かの威勢のよかった映画俳優、丹波哲郎は霊界の研究者で、あの世は厳然としてあると言い、貨幣に表裏あり、男あって女あり、天国あって地獄あり、人間界あってあの世があるのだと力強くわかりやすくいっている。 また、死の間際まで進み、死なないで生き返った体験を臨死体験と言っているが、その体験をした人達が言っていることで何と共通することが多いのである。よく聞かれる三途の川があったと言うことも含めて、その経験はこの世の経験ではなく、まさしく「あの世の経験」ではないかと言う考えである。初め多くの科学者は、臨死体験を死にかかっている脳そのものの作用、幻覚などと説明していたが、殆どの脳の部分が機能していない状態で臨死体験をしたアメリカの有名なエベン・アレクサンダーと言う医師の証言ではその体験した世界は脳が感じていたことではなく、別の霊魂などによる世界ではないかと明言しているのである。
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この発言はけっこう話題になり、テレビでも放映された。正しい?見解として受け入れた人も居たようだか、だれもが認める定説とまではいっていないように思う。 ここで最後に「病院での臨死体験者の共通したことがら」をあげておく。 医師の「ご臨終です。」と言う言葉を聞いている。 ベットの自分の体を浮遊した自分が見下ろしている。 トンネルのような暗闇に入る。 急に明るくなり、楽園のような所に出る。 一生のことが次々と思い出され、生涯を振り返る。 先に死んだ人とかが「戻りなさい」とか言う。  ちなみにアメリカの学者が言うのには、臨死体験をした人はその後、人が変わり、愛深く、死を恐れない人が多いと言っている。  さて、老大生のこの私自身はと言うと、以前はたぶんあるだろうと思っていたが、今は、間違い無くある思っている。  最後の最後に、このことを付けたしておこう。 なんと、私が発表して自席に戻ったら、ある女学生が「霊界はあるんだよ。」と確信を持って言い伝えてきました。たぶんその方は霊界を体験した方なのでしょう。

 

(ここで霊界と言っているのは、正しくは幽界のことをさしていると思われます。)

Sさんへ、お礼の手紙


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  前略    美味しいミカンをたくさん、ありがとうございます。Sさんの引っ越しから結構立ちましたね。お元気でしょうか。  私は、Sさんを思い出すたびに、女手ひとつでコツコツと地道に生活していたSさんに感心しています。    このごろ雑木茂った放任地の雑木を切り、整備することを少しずつやっています。木を切り倒すと太い玉木はよいのですが、小さな枝がたくさん出ます。その枝をちゃんと乾かして燃やせば、冬の防寒に、役立つわけです。  いま、外国のアフガンでは寒さに震える人々がたくさんいます。Sさんはどんな小さな木でも捨てずに燃料としていましたね。そのことが強くはっきりと想い出されます。 私も、見習って、木のコッパでも無駄にしないで、袋に詰めています。  薪を焚く人が結構います。安く売ってやるか、くれてやろうと思っています。  できれば、アフガンに届けたいのですが。 七飯のくだもの、リンゴを少しばかり贈ります。  

      令和3年12月 gwakakunより

 

新聞の記事あつめ


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予想される記事

(1)自由です。 (2)以下はテーマ(例)です。

     参考に してください。

■人生の出会い

■人生最大の感動・感激

■「幸せ」ってどんなこと

■涙があふれる話

■私の(       )自慢

■穴があったら入りたい話

■私の夢、昔・今・これから

■今、熱中していること

■これが私の宝物

■友のこと

■「あの時」の後悔

■旅の思い出

■(       )について私はこう思う

■もしも(   )歳に戻れるとしたら

■これだけはやっておきたい

■私の大好物

■愛する(     )のこと

■子どもたちに伝えたいこと

      ここに書かれている項目は.全て、Sアドバイザーによる資料をのせたものです。

     ありがとうございます。